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ETV特集「ひとりだ でも淋しくはない~詩人・加島祥造 90歳~」
を見た。かじましょうぞう。 おもしろかった。 横浜国大の英文学教授、推理小説のアガサクリスティの翻訳などの仕事で社会的地位を得るが、60代で、教授職、嫁、息子たちを捨て、信州での山暮しを始めてしまう。息子らは、精神がボロボロになった母親を必死に支えた。 山のなかで書いた「もとめない」「うけいれる」と題した詩集も爆発的に売れた。 日本人と結婚、夫に先立たれたあと、信州に移り住んだドイツ人女性、アムさんが、加島氏の講演を訪れ、交流するようになる。10年ほどのお付き合いののち、アムは白血病を急に発症し、亡くなった。アムの死から、3年ほどは立ち直れなかった加島さん。 故人は、生きるものをひっぱるのではなく、おしてくれる、はげましてくれると理解し、日々の生活を味わえるようになったという。 東大の教授、姜尚中さんが、ある対談から加島さんと交流を持つようになる。姜さんの息子さんはその無垢さゆえに自殺されてしまう。 姜さんもまた、社会的地位がありながら充実感を得られないでいたが、息子の死にむきあうのが怖く、仕事をたくさんいれてごまかしていた。 3年後、東大の仕事を定年を前に退職。 息子の死を題材にした小説を書く。 自分を見つめるきっかけにもなり、加島さんへの手紙のなかで、姜さんは、自分は社会の囚人であったと告白する。 出版社に務めていたが、退職しBARを経営している次男とこの数年ようやく交流をとりもどしている。 俺を恨んだだろ?と息子に話す加島氏に対し、息子は、俺たちを捨てたオヤジの年齢に近づくにつれ、オヤジの気持ちがわかってきたと話す。50のオトコの気持ちなんてまだこんなもんだと。ヨメ、コドモなんてどうでもよいいかんともしがたい自分のことの不安ってのがこんなにあるんだと。 社会にがんじがらめになる前、野山をかけまわって遊んでいた子供のころの自由なじぶんのことを、 「はじめのじぶん」と加島氏は表現している。 はじめのじぶんに、正直に生きること。90になってもまだ恋人の死に心を痛めたり、いかんともしがたいじぶんがいて、悟りの境地とは言えない。 ホトケさまじゃないんだから、ひとは死ぬまでこどものような心で生きるのだろう。ただ、若いころ見えないものが見えてくる、わかってくる、美しいと感じる、味わいがどんどん増えてくるのだろうと思う。 じぶんは、小学生のころ、高校生がすごくおとなに見えた。親から自立するくらいの精神状態だろうと思っていたが、なってみるとそんなことはなかった。あと少しで40才だが、孔子の言った、「四十にしてまどわず」の境地になんとかたどりつきたいものだ。。笑。 加島氏は、優等生、エリート孔子を批判した老子の思想よりのようである。 こだわりをすて、あるがままのじぶんをうけいれる。
by sattak1974
| 2013-10-26 01:44
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