今日は、市川市立南行徳中学校の道徳のいじめの授業の一貫で、柿原智恵子さん朗読「葉っぱのフレディ」音楽とピアノが私。絵本の写真をパソコンに取り込み、スクリーンに投影する男の先生。
700人以上の全生徒さんの前で体育館のステージのピアノで演奏してきました。 学校でのライブは、ジャングルスマイル、高木いくの、和太鼓奏者Ryojin、jajaなどで体験してきましたが、すこし緊張しました。子供たちは集中して聞いてくれて嬉しかったです。 本番後、学校給食をいただきました。いろんな食材が入ってて、バランスが考えられてて、味も濃くないのにしっかりしてる。普段の自炊料理の摂取品目が少ないなぁと。笑。 控え室に使わせていただいた音楽室の壁に、合唱部のコンクールの歴代の賞状がびっしり。私は高校のとき合唱部でした。 開校30周年記念として、11月に男子兄弟のピアノ連弾ユニット、レ・フレールを招いて体育館でライブやるそうです。案内を送りますので、空いてたら見にきてくださいと教頭先生。女性の校長先生は朝にご挨拶いたしましたが、昼からご出張で、残念ながら本番は聞いていただけませんでした。 朗読の柿原さんは、かつて先生の仕事をされていて、その頃の先生仲間が、今回の企画を立ててくださったようです。 #
by sattak1974
| 2014-10-08 15:46
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by sattak1974
| 2014-08-31 19:38
台湾ドラマ「ショコラ」
CSドラマチャンネル ★放送日:8/28(木)スタート! 毎週(木) 深1:15~2:15 他 ☆再放送:9/4(木)より 毎週(木) 後6:00~7:00(予定) http://www.homedrama-ch.com/special/chocolat KOHAKのチェロの孝太郎くんが、長澤まさみさんへチェロの演技指導を行い、KOHAKとしては挿入曲として『Zipangu』を楽曲提供させて頂きました。 #
by sattak1974
| 2014-08-29 11:44
69年目の終戦記念日。
NHK、ETV特集「“戦闘配置”されず~肢体不自由児たちの学童疎開~」を見た。 戦時中、唯一の肢体不自由児が通う東京、世田谷にあった学校、光明学校。 学童疎開とは、その後の戦力となる子供の命を守るためであり、光明学校には、疎開の手続きが国からされない。戦争の使いものにならないからと。 受け入れ先を、長野に求めた、松本校長。 しぶとく役所に交渉し、千曲川ぞいの旅館に受け入れを可能に。 50名の子供たち、親御さん、職員が7時間かけ、疎開。移動の列車も1両なんとか貸し切りにしてもらった。 子供たちが長野にうつった10日後の東京の空襲で世田谷の校舎は焼ける。10日遅かったら、子供たちの命はなかった。。 戦争がおわり、普通の数十万人の子供たちは翌年の3月までには焼け野原の東京や親族のいる地方に帰っていった。 光明学校の子供たちは、戦後4年間、昭和24年に新しい校舎が東京に完成するまで、長野にとどまった。 松本校長は、その後も、義務教育における肢体不自由児の権利を主張し、昭和54年(なんと私が5才のときだ)に肢体不自由児にも義務教育を受けさせる義務があるという法律をつくらせる。 全国に養護学校、教室、一般クラスへの受け入れなどの努力をされてきたという。 戦争が終わっても、戦争があろうがなかろうが、ひとつの価値をつらぬいて生きていらっしゃる松本校長はすごいと思った。 それは、ひとたびの戦争のあさはかさを浮き彫りにするような意味合いを感じる。 選びとるべき価値観とは。。 松本校長は、戦争は文化をも押し流すと。 体の不自由なひとを守れる世の中は文化水準が高いということだ。 ひとつの価値観でしかものを見れない世の中は危険である。 言い方は悪いが、どの親も自分の子供が五体満足で生まれてくれたほうがいいに決まっている。 その親になってみて、自分が万が一の確率でなってみて、世の中の冷たさ、温かさやあるいは社会の未熟さを感じるのだろう。 #
by sattak1974
| 2014-08-16 01:30
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