佐藤拓馬の「お勝手になさい。」

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69年目の終戦記念日。
NHK、ETV特集「“戦闘配置”されず~肢体不自由児たちの学童疎開~」を見た。
戦時中、唯一の肢体不自由児が通う東京、世田谷にあった学校、光明学校。
学童疎開とは、その後の戦力となる子供の命を守るためであり、光明学校には、疎開の手続きが国からされない。戦争の使いものにならないからと。
受け入れ先を、長野に求めた、松本校長。
しぶとく役所に交渉し、千曲川ぞいの旅館に受け入れを可能に。
50名の子供たち、親御さん、職員が7時間かけ、疎開。移動の列車も1両なんとか貸し切りにしてもらった。
子供たちが長野にうつった10日後の東京の空襲で世田谷の校舎は焼ける。10日遅かったら、子供たちの命はなかった。。
戦争がおわり、普通の数十万人の子供たちは翌年の3月までには焼け野原の東京や親族のいる地方に帰っていった。
光明学校の子供たちは、戦後4年間、昭和24年に新しい校舎が東京に完成するまで、長野にとどまった。
松本校長は、その後も、義務教育における肢体不自由児の権利を主張し、昭和54年(なんと私が5才のときだ)に肢体不自由児にも義務教育を受けさせる義務があるという法律をつくらせる。
全国に養護学校、教室、一般クラスへの受け入れなどの努力をされてきたという。
戦争が終わっても、戦争があろうがなかろうが、ひとつの価値をつらぬいて生きていらっしゃる松本校長はすごいと思った。
それは、ひとたびの戦争のあさはかさを浮き彫りにするような意味合いを感じる。
選びとるべき価値観とは。。
松本校長は、戦争は文化をも押し流すと。
体の不自由なひとを守れる世の中は文化水準が高いということだ。
ひとつの価値観でしかものを見れない世の中は危険である。
言い方は悪いが、どの親も自分の子供が五体満足で生まれてくれたほうがいいに決まっている。
その親になってみて、自分が万が一の確率でなってみて、世の中の冷たさ、温かさやあるいは社会の未熟さを感じるのだろう。
by sattak1974 | 2014-08-16 01:30
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