佐藤拓馬の「お勝手になさい。」

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ニーチェについてわかりやすく説明してくれた本を読んだあとで、
久しぶりに映画「ベンハー」を見た。
キリストの誕生から映画は始まり、ローマの支配がユダヤにおよんで、ローマの軍の指揮官になったメッサラと、ユダヤの富豪のベンハー。この幼なじみの二人が決別、互いを憎む。
メッサラによってとらえられ奴隷になったベンハーに水を恵んでくれた人がキリストだった。
ローマの船をこぐ奴隷として、マケドニアとの戦いから生きて帰ったベンハーは、競馬競技でメッサラと対決し、勝つ。メッサラは競技で大けがをして死ぬが、死に際に、ベンハーの母と妹を牢に閉じ込め、疫病にかかって死の谷に隔離していると言い放つ。
メッサラを倒したあとも憎しみにかられ続けているベンハー。
ユダヤの統治を乱す危険分子として、キリストが十字架を背負い丘を登らされる。ベンハーはそれを見て、水をくれ、自分を救ってくれたひとだと気づく。キリストが十字架にかけられ死ぬと、それがすべての人の恐れ、憎しみと罪をぬぐい、母と妹の疫病も治る。

ニーチェは、キリストが死んで(西暦0年)1844年後から1900年まで生きた。

西洋哲学、キリスト教をバックにした倫理観から自由になることを、ニーチェは説いた。
共感できるところも多かった。
でも、ベンハーを見たら、この時代、状況では、キリストにすがるだろうとも思った。
ニーチェはそれを畜群本能(群れた子羊のように、弱い存在)として批判した。

しかしたぶん、キリストの考えたことも、弟子には100パーセントは伝わらない。

キリストの死後、教会ができた時点で、それはまた権力になり、本来の宗教の意義を失ってしまうのではないか。

ニーチェの死後、兄の最大の理解者であったニーチェの妹がヒトラーを敬愛し、ニーチェの思想は、戦争への陶酔に利用されていく。
権力におもねるようになる親友の作曲家ワーグナーと、ニーチェは親交を断つ。

最も似ているはずの親子、兄弟でも、解釈は微妙に違うのだ。

全く同じ人間は存在しないからだ。

それが、人類を多様に、たくましくしているともいえる。

時代、状況が変われば、正しいものも変わってゆく。

ニーチェに言わせれば、「正義、正しいこと、正しい行い」などというものは存在しない。

それは、人がそれぞれみな、自分の信じたいもの、見たいものからしか、ものを感じることができないからだと。

(弱者に対する、同情を卑劣な感情としている。
それは、弱者に施しをする自分を認めさせ、結局は自分が優位であるということを感じたいのだと。)

ほんとうの客観は存在しない。

だからそれが悪いのではなく、それでよいと言う。

自分に正直であれと。。

そのかわり責任と孤独を自分で持つ。

いいわけをしない生き方なのかなと。
by sattak1974 | 2012-01-16 00:41
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